【コラム】屋台の憧憬
福岡といえば屋台である。しかし、私は福岡の屋台に入った事がほとんど無い。生まれて初めて福岡の屋台に入ったのは、小学生の時に父親に連れられて行った中洲の屋台だったと記憶している。その後、大人になってからも何度かは入った事があるが、あくまでも焼きラーメンを食べてみたいから小金ちゃんに行く、と言ったスポット的な使い方でしかない。
私が言わんとする屋台使いは、そこでお酒を飲みながら一品料理を楽しみつつ、気のおけない仲間や隣り合った見知らぬ客と語り合ったり、あるいは気難しそうな店主のご機嫌を伺いつつお酒をまた注文するような。そんな大人の居場所としての屋台という意味では、私は一度も使った事がない。
根本的な問題として、私がそもそも酒を飲めないというハンディがある。しかし、居酒屋は普通に行くし酒を飲まずとも楽しく過ごす事が出来る。ところが屋台となると途端にそのハードルが高くなり、酒も飲まないのにこの暖簾をくぐってはいけないのではないか、この椅子に座ってはいけないのではないか、などと考えてしまうのだ。皆さんの憩いの場を邪魔してはいけない、と自粛してしまうのだ。
いっそ何なら外国人になりたい。日本語をカタコトにして中国人や韓国人になりすましたい。そうすればきっと気持ち的に入りやすくはなると思うのだが、楽しく飲み食いして過ごすことは難しいだろう。カタコトだから熱く語り合うのも無理だろう。かと言って本物の中国人観光客に話し掛けられたらますます会話が出来なくなるだろう。
まずは福岡人で屋台を良く利用する人が「今夜は行き着けの屋台にでも行きましょう」などと誘ってくれるといいのだが、周りの人が屋台に行かないのか、そもそも福岡人はそんなに屋台に行かないのか、東京から来た客人を屋台に誘うのは申し訳ないと思うのか、あるいは屋台はいくらでも行ってるだろうからと思われているのか分からないが、そういうお誘いを受けた事がない。
夜の春吉橋から中洲のほとりの煌々とした屋台の灯りを眺めたり、国体道路や渡辺通沿いにある屋台の横を通り過ぎるたびに、自分とは遠い世界のことのように感じてしまう。あぁいつか自分もその光の中で過ごしたい。そんな風に想いながら、今夜も淋しくホテルに帰るのだ。
0コメント