【コラム】ガンナガの意味

 初めて私が「ガンナガ」を食べたのはもう20年以上も前ではないかと思う。博多ラーメンと長浜ラーメンの差異を明確に意識したことも無かった頃、生まれて初めて長浜という場所に行ったのがその時だ。おそらく中洲あたりからタクシーに乗って、十分お腹はいっぱいだったのにも関わらず、一緒にいた地元の人が「長浜行きましょう」みたいなノリで連れていかれたのではなかったかと記憶する。その頃の元祖長浜屋は、今よりも大通りに面した場所にあり、確か券売機ではなかったように思う。店に3人で入ったら、厨房前に座っている初老の男性がこちらのオーダーを聞くまでもなく「3ちょぉ〜」と力なく、どこに向かって言うとでもなく呟き、それを聞いた厨房が麺を茹で始めていた。

 店に入った瞬間、いやタクシーを降りたその時から鼻につく豚骨臭。どれだけの豚骨スープが出て来るのかと思いきや、シャバシャバで粘度も旨味も弱いスープに軽く肩透かしを喰らった。そして想像以上に太く、さほど固くもない麺にも驚いた。チャーシューらしいチャーシューが乗っているでもなく、塩味のやたらと強いほぐれた肉がグシャッと乗せられていた。現在の博多ラーメンの原型であるとか、替え玉発祥の地であるとか、そういう予備知識がすべて覆された。それは一つのカルチャーショックであり、端的に言えば「美味かねぇなぁ」という感想だった。

 それから20年が過ぎ、そのあいだに私が何度この店に足を運んだか分からない。揉めて出て行った人が目と鼻の先で「長浜家」を出したとか、そこからまた別の人が出て行ったとか、ややこしいことは良くわからないが、基本的には散々色々食べ倒した後に相も変わらず「長浜でも行きますか」とタクシーに乗り込み「元祖長浜屋」に足を運んでいた。そして、さほど濃度のない旨味に乏しいスープをすすって「そう、これこれ」なんて言いながら、ヤカンに入ったお茶をメラミン製の茶碗に注ぎ「色出てねぇなぁ」なんて言っているルーティン。時々ここに来ないと落ち着かなくなる。別段美味かねぇのに、である。

 先日、ガンナガを食べたことがない、長浜ラーメンのルーツを知りたいなどと宣う人間がいた。もうウハウハでタクシーに乗り込み、深夜の長浜屋へ向かった。そしてそいつがどんな顔してラーメンを食べるのかワクワクして眺めていた。すると「あ、美味いっすね!」と想定外の反応をしてズルズルと食べ出した。慌てて自分のラーメンを見てみると、スープの濃度もそこそこあり旨味も蓄えている。麺もしっかり茹でられている。おかしい。美味い。いやいや、こうじゃないんだよ。本当のガンナガってね、と語りながら美味いラーメンをすする不思議な時間。

 日々味の進化を遂げていくのがラーメン文化であり、それは個々の店にとっても同じことである。不味くなるならまだしも、美味くなるなら文句はないはずなのだが、ガンナガに関しては昔のままであって欲しい。そんなに美味くならなくていい。変わらないために変わらないでいて欲しい。

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